2013年8月22日木曜日

SIGMAを悩む

発売されて随分と経つがSIGMA DP2 Merrill が気になりっぱなしである。
先人たちのレビューも出尽くした感があるし、評価も静定したように見受けられる。
曰く「解像番長」である、と。
そうなのだ。それがいいのだ。そこに惹かれるのだ。

振り返ってみると、デジタルカメラに初めて接近遭遇したのは97年発売のNEC製ピコナだった。


親戚の方が購入されていたのを触らせて貰った(その後、譲り受け)
恐ろしく電池が持たないデバイスだったけれど、写真がデジタルデータで残ることへの感動の方が強かった。
画質だとか解像感だとか、そんな話はどうでも良いし考える余地もないくらいの興奮をもたらしたデバイスだった。
しかし、当時はいわゆる銀塩カメラの牙城を崩すには至らないと感じていたのも確かだ。ピコナに触れた時は写真機としてではなく、ある種の装置として見ていたように思い出される。

あれから7年。銀塩カメラはほぼ消滅してしまった。
古いタイプのカメラ野郎だと思っていた父でさえ、初代IXY DIGITALを皮切りに一気にデジカメへのパラダイムシフトを実施してしまった。
この流れは正に時代の奔流なのだと実感した。

私自身もデジカメに移行して久しい。
世には、いわゆる画質、解像を熱心に追及される趣味人も居る。
撮った写真も等倍鑑賞して様々な言及や批評が成されている。
意固地な私は等倍鑑賞などに意味があるのか、と思っていたが、
デジタルなのだから、ビシッとならないのかとも漠然と思っていた。
写真雑誌をめくれば「やわらかな画が得られ~」などの文言が並ぶ。
それもいい。
私自身が撮った写真も稀に自身でも「おお」と思う程によく写ったものが得られる。
焦点もピッチリ合っている。構図なんかは芸術性やらも絡むので置いておいて。
で、等倍で観てみると…うーん、なのである。

そういう時にSIGMAの登場である。
元々は全く注目していなかったのだけれど、父がSIGMAのカメラが出ない出ない、出ると言って延期しまくっている、とイライラしているのを聞き、どんなものかと興味を持った次第。
これが初代DPの時の話だったと思う。
FoveonX3センサーという読み方すら未知との遭遇な心臓部。
初代DPは見送ったものの、二代目となるメリルシリーズは登場前から大注目していた。
そして、サンプル画像が現れ始め、ヨドバシカメラで実機を触り、先人達のレビューがネットに溢れ、かつ画質(解像)に関して絶賛され続け、現在に至るも画質に関しては孤高にあると評価されている。
これは是非とも試してみなければならぬだろう、と想い至るが予算の都合もありウダウダと価格の推移を眺めるに終始している。

ヨドバシで触った感触としてハードウェアとしても印象がいい。
特にMFの動作感はFUJIのX100がダメ過ぎた為に感動すら覚えた。
撮る為の機械といった佇まいも潔く恰好が良い。
おそらく、次はこれを買うのだろう、買わねばならんだろう、と思う。

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