2024年3月18日月曜日

SINN 556.I.RS

物事には因果があるのです。
ドイツのSINNというメーカーがある。
これは現代の我々から見ると腕時計のメーカーである。
かつては航空機の計器を製造していた会社でもあった。
ここの腕時計はとにかく視認性が高い。それがテーマになっていると感じられる。メーカー側もこだわっている。計器メーカーだからこそ、ということなのだろう。
まあ、ここらの蘊蓄は公式サイトや詳しい方の解説を読んでいただくとして。

腕時計というのは趣味性において歴史(や背景)が重要となる。
こういうコンセプトで作りまして、こういう場所にも着けていってもらいまして、こういう実績がありまして、だから”良い”んですよ、というセールストークになる。

さて私もかつて”生涯を共にする腕時計”というテーマを持って時計を求めた。
おっさんのエゴイズムに基づいた、とも言える。
その過程で様々な上等な時計を見てきた。
どれもこれも良いのである。
グランドセイコー、ザ・シチズン、国産の雄、二大巨頭のこれらは実際に腕に装着してみるところまでした。
一方でシチズンのシリーズ8が刷新され興味が復活もした。これも実物を検分した。実に素晴らしい時計だった。
どれもこれも上等で素晴らしかった。
だけれども、キラキラ過ぎるのである。
一分の隙もなく磨かれ、精密に加工されたそれらはほんの僅かな光すらキラリで返してくる。
針も文字盤もケースもそうなのである。
凹凸を強調するようなダイナミックな加工でもあり、加飾である。
ここが違和感に繋がった。
要するに目立つんである。
着用者がパッとしないおっさんであるからして、腕(の時計)だけがキラキラというのはいけないと自認したのだ。言い換えれば似合わない。
それは品の悪そうな親父がジャラジャラさせている金時計のようなものなのである。
そうじゃないんである。

原点に立ち返れば。
中学生の頃にモノマガジンの広告で見たSINNの時計。
それはSINN 156Bだったのだけれど。
いつかこれを買うぞ、と決めたのである。
当時は針が多い程カッコイイと思っていたのだ。
ともあれ、SINNに立ち戻ってみたのだ。
そしたらば556というモデルが目についた。
目についたというか目を奪われた。

sinn 556.I.RS

ということでSINN DEPOTなる公式ショップに突撃。実機検分をしてみた。
実物を目の前してみると、写真で見るよりもキラキラ度があったのだけれど、かなり控え目。
というか、文字盤のドーンと沈んだような漆黒、レタリング(私が見たのはバーインデックス)の落ち着き具合、血の色の秒針。
ちょっと逆に浮いてるかもと感じるくらい存在感のある文字盤なのである。浮いてるというか沈んでるというか。これはもう宇宙だな、この中は宇宙だ、という結論に達したのだけれど、すぐさま財布を出すことを思い止まることには成功した。

こういった高級時計を扱うショップはあまり経験がないのだけれど、販売員の方も大変な紳士っぷりで好ましい。
腕時計が“男の逸品”の座から陥落し、ファッション性からも軌道を異とし、機能性ではスマートウォッチに譲り、あろうことか投機の対象となるような現状である。
ゼンマイ仕掛けの機械に数十万円をかけるのは時代遅れ、ということだと理解している。
それはそれで「そうなんだ」と言える。
「だからこそ」と逆張りをするつもりもない。
単純にロマンなのである。私にとってのロマンなのです。
もちろん実用性も含めて。

後日談としては「買いました」なのである。

とうに人生の折り返しを過ぎているのであり「いつかは良い時計を」などと引き延ばすことにメリットはなく、残り時間は刻々と減少していっているのである。
もちろん高額な買い物なので無理は禁物だけれど、幸いにして無理はしなくても大丈夫なタイミングが到来したのであった。
全ての養生フィルムを剥がしたSINN556は本来の抑えた光沢と漆黒の文字盤が強調されており大変に素晴らしい。
しっかりと使っていくのである。